こんばんは、吉田です。

この物語はフィクションです。



さて、今回は大学生になってからの話である。
上京してK県に居を移した俺は、華々しい学生生活に少なからず期待をしていた。
恐らくは自由で、恐らくは楽しくて、恐らくは輝かしいものだろうと夢を膨らませていた。


しかし、K県に移住をする少し前から身体に変調があった。
暖かい部屋、暖かい場所に居ると何故か吐き気に襲われるのだ。
そして一番の変調に気付いたのは上京する1週間ほど前、大食漢であったはずの俺なのに、すき家の牛丼が食べられなくなっている事に気付いた。


そんな、普通よりも不安を増量させた学生生活ではあったが、滑り出しは悪くない。
実際自分でコマ数を決められると言う自由さ、初めてする一人暮らしの楽しさ、輝かしい学生生活にはほど遠かったが、この緩さは嫌いではない。
不良学生が増えるのも分かる気がした。


さて、俺はK県に来てからはパチンコ・パチスロから足を洗った......訳ではないが、行くとしても月に一度と、今では考えられないくらいの頻度でしか行かなかった。


記憶しているのは、上京直後、巨大なY駅前の破茶滅茶な人混みを抜けて辿り着いた4パチ20スロのみの“kingEX”と言う店。
当時は消されたルパンと牙狼FINALが置いてあり、適当に座った牙狼を1000円だけ回した。
その後、ゾーンやモードなどと言う物を全く知らない状態で打った初代まどマギで2万円負けて、訳も分からない状態でパチスロを打ってはいけないと学んだのだ。


これが大敗の記憶として染み付いているくらいなので、あんまり熱い勝負はして来なかったのだろうと思う。
そしてそれが原因でパチスロに苦手意識を持った為、パチンコの方に傾倒する様になったのかもしれない。





パチンコに行かない休日は、ゲームセンターやカラオケに入り浸っていた。


無論一人である。


昔から、数人で連れ立って行動するよりも一匹で活動する方が性に合っていた。
複数人は複数人で楽しいのだが、気ままに一人で行動する方が楽だと思っているので、一人でゲームセンターに行き、一人でカラオケに行き、一人でもんじゃ焼きを食べた。
店員さんに焼いてもらった。普通に美味しかった。


さて、そんなふわふわとした学生生活だったが、一年の夏を迎えた頃に変調が顕在化する。
暑いのもあって、徒歩5分のコンビニに行って帰ってくるだけでとてつもなく疲れる。
汗が止まらないし、心臓の拍動がドラムの様に速く大きくなってそれしか聞こえない。
そのまま玄関先で突っ伏す様に倒れて、10分ほどその状態で横になり続けるしか出来なかった。
コンビニに行くたびそうなってしまったし、ご飯も喉を通らない。
と言うか自分が食べられる量の限界が極端に下がってしまったようで、例えばご飯を食べている途中、呑み込もうとした米が急に呑み込めなくなる。
喉が急にシャッターを下ろした様な感じで、これはかなりマズいなあと思いつつも見てみぬ振りをしていた。


夏なので俺の好きな祭りに行った時も、そこに向かう電車の中で蹲踞の姿勢をとっていた。
立っているのが非常に辛く、人もまばらであった為であるが、今考えると変質者扱いされなくて良かったなあと思う。
祭りは案の定混雑していて、何度も何度も路肩で休みつつ祭りを巡った、確か道中で見つけたパチンコ屋の1パチで2000円程打った。


さて、それから1、2ヶ月した所で身体が耐えられなくなった。
こんな状態だから大学の保健室をちょこちょこ利用していたのだが、ついにある日保健室でぶっ倒れる様にベンチで横になった所、職員に言われて病院に行く事になった。
この時初めての車椅子デビューをした、珍しいので写真を撮ったのがバッテリーが切れて充電できなくなったiPhone5に残っていると思う。


血液検査等をした結果、どうやら俺は“バセドウ病”と言う病気である事が分かった。


症状は動悸、息切れ、手足の震え、疲れやすさ、だるさ。
男女比は1:5くらいらしく、珍しいフラグを引いてしまった。
詳しい説明はインターネットで調べれば分かると思うので省くが、言うなれば普段から身体が全力疾走をしている感じの病気である、そりゃあ疲れるはずだ。
放置すると悪化して重篤に至る事もあるらしいが、ここまで日常生活に支障をきたすものを放置出来るはずが無い気がする。


と言うわけで自由で楽しい学生生活は一旦お預け、休学をして治療の為に帰郷する事になった。
この帰郷でパチンコにずぶずぶとのめり込んで行くのだが、その話はまた次回。




それではまた今度。