2020年05月



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livedoorよりも楽そうなので試しに移行してみました。
あんまり合わなかったら何食わぬ顔でlivedoorに戻ってきます。

こんばんは、吉田です。

前回のは無かった事にしてください。



さて、病気療養の為郷里へと帰った俺であるが、何もする事が無い。


と言うか、何も出来ないのだ。


動いただけで心臓がバクバクと脈を打つので日がな一日寝転がっている他無いし、食べ物を食べようとしても少し食べただけで限界が来てしまう。
無理やりにでも詰め込もうとすると苦しい食事になってしまうので、人間の三大欲求の一つである食欲を満たす事ができない。


この時は動悸と慢性的な吐き気、そして食べられないが故の空腹に悩まされており、冗談では無く夢を見る事が一番の楽しみだった。
夢の中では吐き気が無い上、何故か悪夢を見る事が無かったのでいつも眠りたいと思っていた。


そんな生活を送っている中、余りにも娯楽が無い生活に飽きてしまい、昔何度かやった経験のあるパチンコを数ヶ月ぶりにやってみた。


そして、ある現象に気付いた。


“パチンコを打っている時は、腹が減らない”のである。


完全に脳汁なるものの所為なのだが、満たされていないはずの腹が唸らなくなった。
しかも気付けば閉店になっている為、後は家に帰って夢を待つだけである。
パチンコは余りにも俺のニーズに合っていた。


当時はスペックも分からずに1パチのダブルライディーンなどのMAX機や、丹下左膳と言う突破型のライトミドルを打っていた。
小当たりの存在も知らなかったので、倉夏の入浴モードに突入すればチャンスなのかと思い数十回転打ち続けた記憶がある。



何度もMAX機を打っていればたまには噴くもので、とある日にキン肉マン-夢の超人タッグ編-で2万発を出した。
普段使っているAC/DCと書かれている赤い玉箱では無く、黄色いボックス型の箱に球が移された。


脳汁が噴いた。
この時だけは楽しくない病気から目を逸らせたし、楽しい事象だけに身を包まれている感じがした。


この時にパチンコが“逃れる手段”から“目的”に変わった様な気がするが、今となっては解らない。


半年後、100kg近くあった体重が70kgまで減ってしまったが、病気は幾分か落ち着いて来た為復学する事になった。


戻ったK県は珍古台の宝庫だった。
そこで珍古台に目覚めた俺は様々な台を打つ為に奔走するのだが、それはまた今度。





それではまた今度。

こんばんは、吉田です。

この話はフィクションです。




さて、病気療養の為郷里へと帰った俺であるが、何もする事が無い。


と言うか、何も出来ないのだ。


動いただけで心臓がバクバクと脈を打つので日がな一日寝転がっていたし、食べ物を食べようとしても少し食べただけで限界が来てしまい、無理やりにでも詰め込もうとして苦しい食事になってしまうので、人間の三大欲求の一つである食欲を満たす事ができない。



そんなある日の夜中、たまたま“パイレーツ・オブ・カリビアン”と言う映画を見てみたのだが、何故かジャックスパロウが出て来ず、宇宙海賊を名乗る男が波乱万丈のストーリーを送る物になっていた。


店側がDVDを取り違えてしまったのだろうか、不思議な事もあるものだと思いつつ、いつもの様に仰向けになり天井を見上げて眠ろうとした。


────天井に、何かいる。


何かがガサゴソと蠢いているようだ、猫だろうか。
こう言う時、軽く怒鳴ってやると猫は逃げていくので“おい!“と少し大きめの声で怒鳴った。


次の瞬間、天井がメキメキと破れ、巨大な影が飛び降りて来た。


「バレちまったか!死ねい!コブラァッ!!」


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バイケンは闇夜に紛れて俺を暗殺しに来たのだ。
暗器がきらりと光る、もうダメだと目を瞑った。


「ググ......」バタッ


数秒後、目を開けるとバイケンの身体には風穴が空いており、自分の左腕が熱を持っている事に気付いた。


「これは......」



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「サイコガン......?!」


その後、俺はアーマロイド・レディと共に再び海賊稼業を行い、海賊ギルドのとの熾烈な争いに身を投じて行く事になるのだが、それはまた別のお話。

こんばんは、吉田です。

この物語はフィクションです。



さて、今回は大学生になってからの話である。
上京してK県に居を移した俺は、華々しい学生生活に少なからず期待をしていた。
恐らくは自由で、恐らくは楽しくて、恐らくは輝かしいものだろうと夢を膨らませていた。


しかし、K県に移住をする少し前から身体に変調があった。
暖かい部屋、暖かい場所に居ると何故か吐き気に襲われるのだ。
そして一番の変調に気付いたのは上京する1週間ほど前、大食漢であったはずの俺なのに、すき家の牛丼が食べられなくなっている事に気付いた。


そんな、普通よりも不安を増量させた学生生活ではあったが、滑り出しは悪くない。
実際自分でコマ数を決められると言う自由さ、初めてする一人暮らしの楽しさ、輝かしい学生生活にはほど遠かったが、この緩さは嫌いではない。
不良学生が増えるのも分かる気がした。


さて、俺はK県に来てからはパチンコ・パチスロから足を洗った......訳ではないが、行くとしても月に一度と、今では考えられないくらいの頻度でしか行かなかった。


記憶しているのは、上京直後、巨大なY駅前の破茶滅茶な人混みを抜けて辿り着いた4パチ20スロのみの“kingEX”と言う店。
当時は消されたルパンと牙狼FINALが置いてあり、適当に座った牙狼を1000円だけ回した。
その後、ゾーンやモードなどと言う物を全く知らない状態で打った初代まどマギで2万円負けて、訳も分からない状態でパチスロを打ってはいけないと学んだのだ。


これが大敗の記憶として染み付いているくらいなので、あんまり熱い勝負はして来なかったのだろうと思う。
そしてそれが原因でパチスロに苦手意識を持った為、パチンコの方に傾倒する様になったのかもしれない。





パチンコに行かない休日は、ゲームセンターやカラオケに入り浸っていた。


無論一人である。


昔から、数人で連れ立って行動するよりも一匹で活動する方が性に合っていた。
複数人は複数人で楽しいのだが、気ままに一人で行動する方が楽だと思っているので、一人でゲームセンターに行き、一人でカラオケに行き、一人でもんじゃ焼きを食べた。
店員さんに焼いてもらった。普通に美味しかった。


さて、そんなふわふわとした学生生活だったが、一年の夏を迎えた頃に変調が顕在化する。
暑いのもあって、徒歩5分のコンビニに行って帰ってくるだけでとてつもなく疲れる。
汗が止まらないし、心臓の拍動がドラムの様に速く大きくなってそれしか聞こえない。
そのまま玄関先で突っ伏す様に倒れて、10分ほどその状態で横になり続けるしか出来なかった。
コンビニに行くたびそうなってしまったし、ご飯も喉を通らない。
と言うか自分が食べられる量の限界が極端に下がってしまったようで、例えばご飯を食べている途中、呑み込もうとした米が急に呑み込めなくなる。
喉が急にシャッターを下ろした様な感じで、これはかなりマズいなあと思いつつも見てみぬ振りをしていた。


夏なので俺の好きな祭りに行った時も、そこに向かう電車の中で蹲踞の姿勢をとっていた。
立っているのが非常に辛く、人もまばらであった為であるが、今考えると変質者扱いされなくて良かったなあと思う。
祭りは案の定混雑していて、何度も何度も路肩で休みつつ祭りを巡った、確か道中で見つけたパチンコ屋の1パチで2000円程打った。


さて、それから1、2ヶ月した所で身体が耐えられなくなった。
こんな状態だから大学の保健室をちょこちょこ利用していたのだが、ついにある日保健室でぶっ倒れる様にベンチで横になった所、職員に言われて病院に行く事になった。
この時初めての車椅子デビューをした、珍しいので写真を撮ったのがバッテリーが切れて充電できなくなったiPhone5に残っていると思う。


血液検査等をした結果、どうやら俺は“バセドウ病”と言う病気である事が分かった。


症状は動悸、息切れ、手足の震え、疲れやすさ、だるさ。
男女比は1:5くらいらしく、珍しいフラグを引いてしまった。
詳しい説明はインターネットで調べれば分かると思うので省くが、言うなれば普段から身体が全力疾走をしている感じの病気である、そりゃあ疲れるはずだ。
放置すると悪化して重篤に至る事もあるらしいが、ここまで日常生活に支障をきたすものを放置出来るはずが無い気がする。


と言うわけで自由で楽しい学生生活は一旦お預け、休学をして治療の為に帰郷する事になった。
この帰郷でパチンコにずぶずぶとのめり込んで行くのだが、その話はまた次回。




それではまた今度。

こんばんは、吉田です。

この話はフィクションです。


十八歳。

少年から青年への過渡期であり、行動に少なからず責任を求められる頃。
俺は初めてのパチンコを経験した。

幼少の頃両親がパチンコで夜遅く帰る事があった為、パチンコに対して良い感情は抱いていなかった。
年齢が上がるにつれパチンコ嫌いは加速していき、中学高校の頃になるとパチンコ打ちの事を“パチンカス”と言う蔑称で扱っていたくらいで、今の俺を見たらあの頃の俺は卒倒するんじゃなかろうかと思う。
パチンコのスペックで機種を当ててる姿とか見たらもうステゴロの始まりだ。



話を戻すが、初めて打ったのはN県はS市にあるベガスベガスである。今は別のパチンコ屋になっている。

ちょっと恥ずかしいから正直書きたくないのだが、何故か家族4人で1パチの沖海2甘を打った。並びで。
何故あんな嫌っていたパチンコへ行ったのか理由は覚えていないが、多分パチンコと言うものに“大人”で“アウトロー”な匂いを感じて、そしてそれを魅力に思ってしまったのだろう。

兎にも角にも打った、1人1、2000円くらいで。
確か兄弟か俺が当たって、親が“やるなあ”などと言って盛り上げてくれたような気がする。

打っている最中は初めて訪れた場所の余りにも異質な雰囲気、あからさまに体調を害しそうなヤニの臭い、耳をダイレクトに侵す銀玉の弾ける音と変動音に終始ドキドキしていた。

結果俺は1000円を呑まれて終わり、ビギナーズラックなんて物は無かったが、この体験でパチンコに対する苦手意識みたいなのは少し取り払われた気がする、いや、“取り払われてしまった”気がすると言った方が良いのだろうか。
パチンコを嫌い続けるには余りにも牧歌的で鮮烈な体験だった。



確かそれと前後して、新潟駅前のボウリング場と併設されたパチンコ屋に行った気がする。最近ボウリング場ごと閉店してしまった。

その時は久しぶりに中学校の頃の友人と遠出して遊んで、その帰りにパチンコ屋を見つけて一人でふらっと入り込んでしまった。

中に入るといつか嗅いだヤニの臭い、たまに親がその臭いを服に残して帰って来るあの臭いと共に、耳を侵す爆発に似た雑音に襲われた。

不意に考える。
前回は4人で来たが、今回は1人である。
もし店員に年齢確認とかされたらどうしようか、保険証とか持ってないぞ、いや老け顔だからどうせ言われる事は無いのだが。
アウトローに足を踏み入れたドキドキと心細さで最高潮になったので、取り敢えず5スロの月下雷鳴に着席した。

とりあえず1000円をサンドに入れて、ドキドキとしながら貸メダルのボタンに手を伸ばす。
これを一度でも押してしまえばメダルを使い切るまで帰る事は出来ない、と言うかどうやってメダルを交換するのかさえ分からない。

大海に漕ぎ出す気持ちでボタンを押した、メダルがジャラジャラと出てきた。
いつ当たるのかなあとドキドキしながら打っていたが、5スロと言ってもあの月下雷鳴が当たるはずも無く、1000円が呑まれた。

打っている最中、店員に肩をポンポンと叩かれる気がして堪らなかった為、追加投資などはせず逃げる様に店を出た。
なんだかとんでもない悪事を働いてしまった様な気がしたので親に“パチスロを打った”と電話をした。
“当たらなかったのか、それは残念だったな”と言われた。



恐らくはここで俺のパチンコ欲求と言う名の芽が花開いたのだ。
しかし、何故こんなにも簡単にパチンコに染まってしまったのだろうか。

そう言えば、俺は祭りが好きだった。

タバコの臭いと焼いた食べ物の匂いがうっすらと夏の空気に混じったあの感じが好きだった。

日が落ちた頃、屋台の暖色の灯りが通行止めで歩行者用道路になった公道を照らしている非日常感も好きだった。

型を抜いたり、金の入った風船をティッシュをこよりにした心許ない物で釣るだけで金が手に入る賭博の入り口、アウトロー感が好きだった。

考えてみると、これはパチンコに非常に似ている。

今でこそ完全分煙だが、明らかに他の施設と比べて多い喫煙率、夜でも灯台の様に居場所を知らせる事が出来る光量の強いネオン、そしていくつかの手順を経て金が手に入る事。

あの時楽しんでいた祭りから、俺のパチンコ打ちとしての下地は出来ていたのだ。

まあタバコなんかは今でも臭いが嫌いだし、余りにデメリットが多いので今の所吸ってみようとも思わないが、一時期電子タバコを嗜んでいたのでおそらく下地は出来ているのだろう、

まあ、今回はこんな所で。
続きがあるかは分かりません。






それではまた今度。

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