こんばんは、吉田です。


前日、敗けた。

やはりと言うか何と言うか、ここ最近の調子の良さはこの日の為にあったのだろうか、と思ってしまう程に敗けてしまった。
小さな勝ちを積み重ねて一気に敗北する、これがいつものパターンであり、止まない衝動と不随意の情動に身を灼かれて暴れる俺の足跡の一つなのだろう。

さて、日付は変わって今日は休日。
前日、金をどこかの町の貯金箱に置いてきてしまった俺は何もせず、ただただぼーっとしていた。
布団の中でもぞもぞと身をよじってみたり、垂れ流す動画に目をやってみたりしていると、とある思念が頭をよぎった。


俺は、パチンコにハマる前どんな休日を過ごしていたのか?


昔は一人で電車に乗ってカラオケに行ったりゲーセンに行ったり、まあ人らしい事をしていた筈なのだが、パチンコを覚えてから休日らしい休日はほぼパチンコに行っている訳で。

昔も今日の様に惰眠を貪っていたが、それはある種牧歌的と言うか、幸福にも似た怠惰であった気がする。

しかし今、と言うか今日はどうだろうか。
貪る惰眠は明日の為の雌伏にさも似たりで、昨日敗北した自分への鎮魂歌的な怠惰である。

いつからだろうか、惰眠を楽しめなくなったのは。
昔の自分に戻りたいという訳ではないが、パチンコが主体の休日と言うのも何だか寂しい様な気がしてならない。

なんだかどうにもならない考えばかりが頭を廻るので、気分転換に外に出てみると、鈍くて重たい雪が降っていた。

俺は心身共に鈍重を乗せて散歩をした。





それではまた今度。

こんばんは、吉田です。


先日ブログで“パチンコを打ちながらスマホを見る事で、逃避した先のパチンコからも逃げている”と書いたので、自分の行動を改めてみた。

1日中スマホを見ずにパチンコを打ったのである。
するとどうだろうか、あそこまで味気も興味も無かった通常時に“早く当たれ”と言う思念が生まれ出でてきた。
それは鮮烈で、過去、スマホを見ながら打っていた時の早い終わりを望む自分とは違っている。

言うなれば自分を取り戻した感じがしたのである。
アレほど当たらないと思っていた赤保留に対し「当たらなければ慈悲は無い、当方に迎撃の用意あり」と覚悟のススメの様な強い気持ちで当たりを望む事ができるようになっていた。

心が折れれば、パチンコと言う魔物は自らが育つ為の養分として俺を食い荒らしに来るのだ。
引き寄せの法則なんて事を言うわけではないが、それに呼応するかの様に当たれば平均連をしてくれるようになっている。気がする。

怠惰の先には俺の骸が転がっている。
ので、負けても心だけは前向きに、自分から楽しむ気持ちを持とうと思う。


......パチンコって、ここまでテンションを上げないと楽しめないものだったか?





それではまた今度。

こんばんは、吉田です。


ここの所、1パチの甘を打っている。
いや、1パチの甘ばかり打っている。

もはやミドルでさえ、その初当たりの重さに恐怖を覚えている今日この頃である。
甘デジを打って少し出たらライトミドルを小突いて、ハマりの逆鱗に触れそうだったらまた甘デジに逃げる。
そうして逃げた甘デジで2倍ハマって、残りの1000発弱で薄氷を踏むような打ち方をして、割れた氷の下にある冷たい敗北にざぶりと浸かるのである。


余りにも負けを重ねたせいか、最近打っている最中にある事をするようになった。
通常時にスマホでネットサーフィンをしているのである。

普段パチンコを打っている時にスマホを見る人間に疑問を抱いていた俺だが、最近自分がその側に立つ事でようやくその理由に気付いた。

どうやら俺は、このパチンコが早く終わらないかと思っているのだ。
煌々の画面の先に見据えるのは惨憺の敗北であるからして、それから目を逸らす為にスマホを見ている。

つまり俺は逃避した先であるパチンコでさえ逃げているのだ。お笑いである。

パチンコに耽る事さえ出来ない俺は一体何なのか、昔は大当たり時の過激な役物でぼやけさせていたはずの事柄が今ではハッキリと眼前に聳え立ち、この頃では脳汁さえあまり出ない。

最近の俺が打つのは惰性のメダル、惰性の銀玉なのだ。
いつかまた素直にパチンコを楽しめる日々が来るのだろうかと帰り道の闇の中、か細い心の声で呟いた。




それではまた今度。

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