こんばんは、吉田です。
昨日ブログで書いた店だが、その後数時間してから店休が決まった。
我が県の遊技業協同組合が足並みを揃えて一斉にやろう、という事らしい。既に休業している店もあるが。
当然と言えば当然だろう、叩かれるのを承知で続行する程の力はパチ屋にはない。
しかし、まだ続けているパチンコ屋はあるのだろうか。
もし仮に開店している情報がネット上に流れれば県の一つや二つ跨いで行くような世紀末の申し子は腐る程居るだろう。
そしてその店は蠱毒の様相を呈する、最後の一人まで食い合うのでは無く、容器の幅が広がって県が蠱毒状態になる所が本家とは違うだろうか。
しかし、足並み揃えて店休は良くやったと言わざるを得ない。
これで“行けるけれど行かない”から“行きたかろうが行けない”に変わるのだ。
俺は今の現状を鑑みて何とか行ける状態でも行かない事に成功したが、これからは“行けるから行く”人間が布団の中でカチカチと歯を鳴らし、震える右手をどうにかして押さえ込んで永い店休を乗り切らなくてはならない。
辛い事の様に書いたが、もしかしたら気は楽なのかもしれない。
今までは空いていたから行っていたのだ、全国的に店休となれば諦めもつきやすいだろう。
俺は以前から“パチンコ屋が開いていなければ行きたいという欲求も無くなるのではないか”と思っていた。
少し歩けば何処にでもあって、人の活動時間帯なら何時でも開いているのがパチンコ屋である。
シャッターをこじ開けた所で店が開く訳でも無し、焦がれた特殊景品もそれを好む謎の買取商が居なければただのプラ板である。
つまり、真の意味でのパチ禁生活は今から始まるのだ。
後12日間、緊急事態宣言が延長される可能性は十二分どころか十六分くらいあるだろうが、とりあえずはヒリつきたい脳を休ませるほかないだろうし、今まで打っていた読者の方々は存分に俺と同じ気持ちを味わって欲しい。
3、4日目辺りが一番クるし、たまに来るフラッシュバックの様な欲求も中々だが、まあパチ禁をやる他ない訳だから、今までパチンコを打っていた時間を何に使うか考えてみても良いだろう。
......例えばブログとかどうだろうか、パチンコブロガーが増える事は良い事である。
と言っても今書けるのは思い出と空想くらいだが。
それではまた今度。